慈悲の瞑想で心を整える (なぜ「私」の幸せから?)

こんにちは、
自信をつけるメンタルコーチ 平山です。
慈悲の瞑想では、どうして「私」の幸せから始まっているのでしょう?
そんな疑問が湧きませんか?
そんなことを考えていたら、ずばり書いてありました。
以下、「仏陀の瞑想法~ヴィッパサナー瞑想の理論と実践 著者:地橋英秀雄、春秋社」
より青字で抜粋しました。
なぜ「私」の幸せから?
自分は後回しにしてまず他人の幸福こそ先に願うべきではないか、という衆生制度の考え方も広く知られておりますが、しかし原始仏教では、自分自身が幸せでなければ、他者に対する本当の慈悲の心は発露しないと考えます。
「自ら浄められてから、他を浄めよ」というのが順番で、他者に対して慈悲の瞑想がしたいなら、まず自分が幸せであることは義務なのです。
ですから堂々と私の幸せを最初に祈ります。
「私は悩み苦しみのない者となれ。幸せであれ」と祈り、次に身近な存在の幸せを祈り、さらに生きとし、生けるすべての生命の幸いを祈るのです。
(ここまで)
堂々と自分の幸せを祈る!
いいですね。
ただし、ただのエゴにならないようには気をつけたいですね。
自分だけがよければいいというエゴでなければ、
自分が幸せであるということが、周りの人にとっても、それが一番いいことなのかなと感じています。
以上
慈悲の瞑想には、たくさんのいいところがあったので、数回に分けてシェアをさせて頂きました。
いつでもどこでも気軽に実践できるのがいいところ。
スーパーマーケットのレジの列に並び始めた瞬間、プラットフォームで電車を待っている短い間、本も新聞も読めない状態の地下鉄、カレーの鍋を回しながら、などいつでもどこでもいいそうです。
私は、歯医者さんで歯の治療中に唱えています、笑
すると、急な痛みへの恐さへ意識がいかず、気持ちが少し楽なんですよね。
それにベストな治療になりそうな気もしますしね、一石二鳥。(^_^)
集中が弱くても、頻度が多くなれば、脳にしっかりと回路が形成されていくそうですよ〜。
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慈悲の瞑想
私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私が幸せでありますように(3回繰り返す)
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々に悟りの光があらわれますように
私の親しい人々が幸せでありますように (3回繰り返す)
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光があらわれますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回繰り返す)
私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光があらわれますように
私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光があらわれますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
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