人はみな本音で生きている。
人はみな本音で生きている。
ある日ふと、こんな仮説が浮かび上がってきた。
人はみな本音で生きているのでは?
世の中では、「本音で生きている人」、「本音で生きていない人」 と表現をする。
でも、 このラベリングによる分離が人を苦しめているのかもしれません。
例えば、
恋愛で、傷つきたくないから好きな人を諦める。
好きな人を諦めない人が本音で生きている人のように捉えて
傷つきたくないから諦める人は、 本音で生きていないように捉える。
でも、傷つきたくないという気持ちは、
本当の気持ちではないのか?
もう2度と傷つきたくない!
それほどの痛みを、経験したからこそ
自分を守りたいんじゃないのか?
自分を守りたい。
これも嘘偽りのない本当の気持ちだと思うのです。
自分を本音で生きられないとラベリングすると、 自分を否定することになる。
そうすると自分本来の力をなくしてしまう。
すべてが本音だと見ることで、自分を否定しなくて済む。
ありのままの自分を受け入れられる。
そして、ここからが、大事なところだと思っています。
あれも本音、これも本音、
どれを選んでもいい自由がある。
たった一度の人生で、
私はどの本音の人生を体験したいのか?
そして自分で選んだことによる、
すべてのこと(痛み、恐れ、 後悔、結果)を引き受ける。
「これが自分の人生に責任を持つ。」
ということだと思う。
人は誰しも、複数の本音の中で、
悩みながら、自分が納得のいく本音を
探している。
P.S.
(写真は、日本の外に出るのは、すごく怖い、 大学の友達とまだまだ遊んでいたいという本音もあったけど、
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